東北大学理学部地理学教室気候ゼミの紹介



    気候ゼミの概要
気候ゼミの詳細な紹介として、境田先生からゼミの紹介、意義についての文章を頂きました。
気候ゼミの歴史や目的、雰囲気が感じ取ってもらえると思います。以下に全文を載せました。
是非お読みください。



    気候ゼミの紹介とその意義について

文:境田清隆先生          .

 気候ゼミの歴史は古い。私の恩師である設楽寛先生が地理学教室の助教授に着任さ れて間もなく(昭和38年頃か)開設されたようで、毎週水曜日の18時から21時頃まで 開催されていた。教室内メンバーだけではなく、仙台市内の卒業生(細川幸也先生・ 石川勲先生)や時には管区気象台から(山下洋さんなど)集まってきており、その便 宜を考えて時間設定されたと聞いている。現在は15時から開催しているが、おそらく 40年近く、ほとんど変わらぬ形態で(同じようにインスタントコーヒーを飲みながら) 継続してきたように思う。いまは教室内で地形も人文も同様のゼミを持っているが、 20年ほど前までは唯一の専門ゼミだった。人数も10人前後で、机の上に置かれた1枚 の図を皆が覗き込みながら、あるいは黒板に図を描きながら喧々諤々、議論が続いた ものだった。それらの思い出は、いずれ卒業生達に綴ってもらうことにして、ここで は毎年ゼミの冒頭で喋ることのうちから2点ばかりを述べて、ゼミの紹介がてら、そ の意義について再確認しておきたい。
 1つめはゼミの場では教師対学生という関係は捨てて欲しいという希望である。講 義や実習は教える側と教わる側の立場が明瞭であることは言うまでもない。しかし研 究の前では万人が平等であり、対等の立場で議論する、それこそ大学の有るべき姿で はあるまいか。と、つい力んでしまうのは、残念ながら現在の気候ゼミでは私一人が 年長者で、しかも指導教官という立場だから、私の発言が結論になってしまうからで ある。これではわざわざゼミと銘打って集まる甲斐がないというものである。教師の 責任放棄と取られることは百も承知で、しかし責任を取らねばならぬ場は他にもたく さんあるので、せめて専門のゼミだけは平等に議論したいというのが、私の本音でも ある。そしてやや建前めいた事を言うならば、学生諸君にとっても、一つの対象に対 する切り口の相違、見解の相違、時には年長者の過ちなどは、知識以上の大切なこと を教えてくれるに違いないと思う。
 2つめは身構えずに発表しようという提案である。気候ゼミでは原則的に発表当番 は決めない。卒論や学位論文の日程上、発表が義務化されることもあるが、せいぜい 前の週に次回の発表予定者を確認する程度で、飛び入りも大歓迎である。学会発表の ように起承転結が整った発表よりも、「こんな作業をしてみたのですが」というよう に、なまに近いデータを提示して皆で議論することを重視したいと思う。ただし、だ からといって出力したばかりで本人もろくに考察していないグラフを見せていたので は、当人の力はつかない。しかし時には「いまこんなことで困っている、停滞してい る」という相談でもよい。一人で悩んでいることを皆に聞いてもらうことで考えもま とまってくるし、アドバイスをもらって一歩前進することは間違いない。そのような 場合は、一人の指導教官よりも大勢の仲間のアドバイスがより有効で、これこそゼミ のご利益といってよいだろう。
 大学の勉強は現代でも読んだり書いたりすることが中心で、インターネットの利用 によってもその傾向はますます強まっているようである。しかし学術研究にしても実 業の世界にしても、会話しながら鍛えられる部分が思いのほか大きいはずである。ゼ ミというのはそのようなトレーニングの場でもあると思うし、それが機能することを 心掛けているつもりである。



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