タヒチ島における過去2万年間の海水準変動と海洋環境変遷の解明

(国際統合深海掘削計画第310次航海)


はじめに

 統合国際深海掘削計画(IODP)第310次航海(Tahiti Sea Level)が2005年度に実施されました.この航海は,南太平洋に位置するタヒチにおいて水面下に眠るサンゴ礁堆積物を掘削し,サンゴの群集解析や地球化学的分析などに基づいて,およそ2万年前の最終氷期最盛期(LGM: Last Glacial Maximum)から現在にいたる海水準変動や海洋環境の変遷を明らかにしようという国際プロジェクトであり,深海掘削計画史上初の浅海域のサンゴ礁堆積物を対象とした航海です.この航海には,ヨーロッパ・日本・アメリカなどから堆積学・サンゴ分類学・地球化学・岩石物性学をはじめとする27名の研究者が参加しました.本研究室からは共同首席研究者として井龍教授(当時:東北大学准教授)が参加したほか,山田助手・浅海ポスドク研究員(東北大学)もこのプロジェクトに参加しました.





本航海の目的

 本航海は以下の3点を主たる目的として実施されました(Camoin et al., 2004).

【1】LGM〜現在までの海水準の上昇曲線を高精度で描き出す.特に,短期間に大規模な氷床の融解があったといわれる

   融氷イベント(MWP:Melt Water Puls)の時期や規模などを正確に見積もる.

【2】LGM以降の海水温の変動を明らかにする.また,過去の数年〜十数年スケールの気候変動の記録を抽出し,

   陸域や他海域の古気候記録とあわせてLGM以降の気候変動の様式を明らかにする.

【3】海水準の上昇や水温の変動がサンゴ礁の成長に与える影響を解明する.


 これら3つの目的を掲げる理由とその背景について,もう少し詳しく説明します.


最終氷期から現在までの海水準変動を復元する(研究目的【1】)

 現在は氷期と氷期の間,いわゆる間氷期に相当し,第四紀の中では海水準が高く,温暖な時期にあたります.今から約2万年前の最終氷期最盛期(LGM)には,地球の両極域および高緯度の陸域には大規模な氷床が発達し,海水準は現在よりも約120m低い位置にあり,太平洋や大西洋の熱帯・亜熱帯域の海水温は約数度低かったと考えられています.また,約13,800年前と約11,300年前には数百年という短期間で急激な氷床の融解(融氷イベント:Melt Water Pulse)が起こったり,約12,900〜11,500年前にはヤンガードリアス期と呼ばれる寒冷期があったことが,これまでの研究によって指摘されています.このように,LGMから現在までの過去2万年間で地球環境は驚くほど大きく変化してきたと考えられます.

 大規模な氷床が融解して海水に流入すると,海洋の熱塩循環は大きく変調し,地球規模での気候変化が起こります.しがたって,氷床の融解によって生じた海水準の推移を読み取ることは,過去の気候変動を解読する上で最も重要です.それを解く鍵(地質学的証拠)としてサンゴ礁が有用であると考えられています.この理由として,サンゴ礁は熱帯・亜熱帯の浅海域に広く形成されることや,サンゴ骨格のウラン系列核種を高精度で測定できるために,サンゴ礁が形成された時期を高精度で見積もることができることが挙げられます.さらに,サンゴ礁堆積物に含まれるサンゴや石灰藻類の群集組成を解析することで,当時の水深を推定できます.

 これまでに,大西洋のバルバドスや西太平洋のニューギニアの第四紀のサンゴ礁から,LGM以降の海水準変動を復元した研究が報告されています.しかし,バルバドスやニューギニアはプレート境界部付近に位置するため,これらの地域から復元された海水準の変動曲線は,地殻変動による誤差を含んでいる可能性があります.そこで,より信頼性の高い海水準変動曲線を描き出すためには,地殻変動やアイソスタシーの効果が小さい海域のサンゴ礁を調べる必要があります.タヒチはまさにこの研究に適したフィールドであり,本プロジェクトで掘削されたサンゴ礁堆積物のコアを詳細に解析することによって,過去2万年間の海水準変動曲線が高精度で抽出され,LGMの終焉の時期や融氷イベントのタイミングと規模が解明されると期待されています.



化石サンゴから復元された海水準変動曲線


化石サンゴから過去の気候変動を読む(研究目的【2】)

 地球の大気−海洋変動のメカニズムを理解することは地球科学が解明すべき最も重要な研究課題の一つであり,地球環境の将来像を推定するために欠かすことはできません.このためには,近現代の気候変動のメカニズムや気象現象を理解するだけでなく,第四紀における気候変動の変遷を解読することが重要であり,また,低緯度域から高緯度域にわたる海域・陸域の古気候データを集積することが必要不可欠です.しかし,木の年輪や氷床コア,湖底堆積物などから得られる中〜高緯度の陸域環境のデータや,深海底堆積物中のプランクトンの化石などから得られる遠洋域の中〜高緯度の海洋環境のデータは比較的多く集積されているものの,熱帯の浅海域の海洋環境データは非常に乏しいのが現状です.

 低緯度域の海洋データの空白を埋める情報提供者として熱帯・亜熱帯域に広く生息する造礁サンゴが挙げられます.サンゴは,骨格の成長速度が大きく,成育時の環境変化をその骨格中に地球化学的(同位体組成・金属元素濃度)な変化として記録するため,高時間解像度の古環境復元を可能にします.しかし,化石サンゴに基づく古環境データは年代的にも地理的にも十分蓄積されているとは言い難く,また,化石サンゴ骨格の時系列データから過去のENSOを抽出した研究例は非常に限られています.これらの原因は,現在は第四紀の中では高海水準期に相当するため,地殻活動の活発な地域を除いた世界の大部分の地域では,第四紀の化石サンゴはLGM以降の海水準の上昇によって海面下に没しており,容易に試料を採取できないことによります.また,隆起によって陸上に露出した化石サンゴの場合,雨水などによる続成作用によって化石サンゴ骨格の化学組成が改変し,本来の古環境の情報が損なわれている可能性が高いという欠点もあります.

 このような経緯から,海面下に眠る第四紀のサンゴ礁堆積物を掘削し,数多くの保存の良い化石サンゴを用いて低緯度域における過去数万年間の海洋環境を連続的に復元することが強く望まれており,タヒチ航海はまさにこの任務を大きく背負ったプロジェクトと言えます.


海水準の上昇に対するサンゴ礁生態系の応答(研究目的【3】)

 研究目的【1】と【2】を遂行して得られる過去2万年間の海水準と海水温の変動曲線をサンゴ礁の生物群集組成の解析結果と比較検討することによって,LGMから現在までの海水準の上昇によってサンゴ礁の生態系がどのように変化していったのかが明らかになると期待されます.これまでの研究から,融氷イベント時の急激な海水準の上昇によって,サンゴ礁の形成速度が海水準の上昇速度に追いつかないためにサンゴ礁が部分的に溺死したと言われていますが,本研究の成果によって,実際にそのようなイベントがあったのか,そのイベントが与えたサンゴ礁生態系への影響はどの程度であったのか,といった謎が解き明かされると期待されます.さらには,海水準上昇に伴うサンゴ礁地形や堆積構造の変化に関する知見が得られ,サンゴ礁の形成過程に関するモデルを構築することができると期待されています.


 

参考文献


  1. Camoin, G. F., Iryu, Y., McInroy, D. and the Expedition TBD Project Team (2004) The last deglacial sea-level rise in the south Pacific: offshore drilling in Tahiti (French Polynesia), Integrated Ocean Drilling Program Expedition 310, Mission Specific Platform Scientific Prospectus No. 2 (Jan. 2005). http://www.iodp.org/publications/prospectus.html.

  2. Clement, A. C., Seager, R. and Cane, M. A.(2000) Suppression of El Nino during the mid-Holocene by changes in the Earth's orbit. Paleoceanography, 15, 731-737.

研究内容の紹介
4.IODP 第310次航海(Tahiti Sea Level)
  に関して