東北大学大学院理学研究科地学専攻地圏進化学講座 炭酸塩堆積学・地球化学グループ Laboratory for carbonate sedimentology and geochemistry Department of Earth Science, Tohoku Univ.

  5.古環境指標としての腕足動物殻の炭素・酸素同位体組成の有用性の検討

  – Establishing reliable paleoenvironmental proxies using geochemistry of brachiopods

   – Paleoenvironmental reconstruction based on isotopic records of fossil brachiopods

腕足動物殻の同位体組成に記録された古海洋環境

 海棲生物が形成する炭酸塩骨格の炭素・酸素同位体組成は,過去の海洋における炭素循環や海水温を推定するために最も重要な情報のひとつです.しかしながら,古い時代の化石であるほど,骨格の初生的同位体組成が続成作用により改変される確率が高まることや,それが古環境指標としての有用であるかどうかを確認するための近縁の現生種が少なくなることが,研究を推進するための大きな障壁となっています.そこで,このような問題点の少ない研究対象として注目されてきたのが腕足動物です.

腕足動物とは

 腕足動物は,分類学的には腕足動物門に属し,背殻(dorsal valve)と腹殻(ventral valve)と呼ばれる形態の異なる2枚の殻を有するのが特徴です.同じく2枚の殻を持つ二枚貝と外見は似ていますが,両者は分類学的には全く異なる生物です.腕足動物の多くは,陸棚などのやや深い海底において,腹殻の殻頂部に認められる茎孔(foramen)から肉茎(pedicle)を出し,固い底質に固着して生活しています.

腕足動物が注目される理由

 炭酸塩骨格の炭素・酸素同位体組成が古環境指標として有用とされる理由は以下の3つです.

1)初生的に低マグネシウム方解石よりなる緻密な骨格構造を有し,続成作用の影響を被りにくいこと

2)骨格が炭素・酸素同位体比に関して周囲の海水と同位体平衡下で形成されること

3)近縁の現生種から,生態学的な情報が得られること

 腕足動物の大部分を占める有関節綱と呼ばれるグループ(リンコネラ亜門)は,これらの条件をすべて満たすと考えられてきました.有関節綱の腕足動物はカンブリア紀初期に地球上に出現し,顕生代の全期間において連続的な化石記録を有する数少ない生物群の一つです.これまで,それらが最も繁栄した古生代を中心として,それらの殻の炭素・酸素同位体組成に基づく古環境復元が精力的に進められてきました.

腕足動物殻の同位体組成に記録された古海洋環境

 腕足動物殻の炭素同位体組成は,海水の溶存無機炭素の同位体組成を反映するものとして,海洋における炭素循環,特に有機炭素の埋没量の増減や,生物生産活動の指標に用いられてきました.一方,殻の酸素同位体組成は,水温,海水の酸素同位体組成,氷床発達の期間や規模の推定に用いられ,炭素・酸素同位体組成の組み合わせから,海洋の循環様式などの復元が行われてきました.例えばVeizer et al.(1999)は,古生代に低緯度海域に生息した腕足動物殻の炭素・酸素同位体比は,時代が新しくなるに従って増加傾向にあることを明らかにしました.酸素同位体組成から,オルドビス紀末〜シルル紀初期,石炭紀〜ペルム紀が熱帯表層海水温の低下期として特定され,これは氷河性堆積物の分布や規模などの地質学的証拠から推定される寒冷期とよく一致することが示されています.また,特に古生代の前半において,腕足動物殻の酸素同位体比が軽い値を示すことは,当時は現在よりも海水温が高かっただけでなく,海水の酸素同位体比が軽かったためであると考えられました.

 しかしながら,腕足動物殻の同位体組成に基づく古環境復元の結果に関しては,さまざまな議論・反論もなされています.特に,続成作用により初生的な殻の同位体組成が改変されたか否かを判定する基準が曖昧であり,同位体比が軽い値を示す場合は,初生的な値が改変されている可能性があります.また,近年行なわれ始めた現生腕足動物を用いた研究から,殻の同位体組成は,殻の成長速度や個体の生理学的な効果(vital effect;生物学的効果)によって大きく変化し,殻は炭素・酸素同位体比に関して周囲の海水と必ずしも同位体平衡下で形成されているわけではないことも指摘されています.

古環境指標としての有用性

 Auclair et al.(2003)は,北米ワシントン州サンジュアン諸島の潮間帯に生息するテレブラチュラ目Terebratalia transversaの腹殻の3次元的な微小サンプリングを行い,炭素・酸素同位体組成の殻内の変異を検討しました.その結果,従来の研究の多くで同位体分析用サンプルが採取されてきた,殻の大部分を占める2次層と呼ばれる部位において,その上部(殻の外側)の酸素同位体比は,成長方向に沿って海水温の季節変化を反映した変動パターンを示すことが明らかになりました.しかしながら,その値は,2次層が酸素同位体比に関して海水と同位体平衡下で形成された場合の値から大きく外れていました.また,炭素同位体比と酸素同位体比は強い相関関係を示すことから,T. transversaの2次層上部の炭素・酸素同位体組成には,生物学的効果(vital effect)の中でも特に,殻の成長速度による効果,すなわち石灰化時の反応速度論的な効果(kinetic effect)の影響が顕著に認められることが明確になりました.一方,2次層上部から下部に向かって,炭素・酸素同位体比はより重い値となり,2次層の下部は酸素同位体比に関して周囲の海水と同位体平衡下で形成されていることも示されました.

 しかしながら,このような同一殻内における炭素・酸素同位体組成の変化を詳細に検討したのは,Auclair et al.(2003)の研究のみであり,潮間帯に生息したの1種1個体に限られています.

私たちが取り組んでいる課題

 これまでは,化石試料の炭素・酸素同位体組成に基づく古環境復元の研究が先行し,現生腕足動物殻の炭素・酸素同位体組成が生息地の海洋環境をどのように反映しているのかを厳密に評価した研究は非常に限られてます.そこで私達は,日本沿岸の亜熱帯から冷水帯のさまざまな海域から多数の腕足動物採取するとともに,それらの生息地の年間を通じた海水温・塩分データの取得,および採水による海水の炭素・酸素同位体比,金属元素濃度の実測を行なっています.そして多数の種を対象として,同一殻内のさまざまな部分の炭素・酸素同位体組成および金属元素濃度を測定し,それらと海洋環境データとの比較から,環境復元に適する分類群や殻の部位を特定したいと考えています.

 また,検討を行なった現生腕足動物と近縁種の化石試料を用いて,続成作用の進行に伴い,炭素・酸素同位体比,殻の微細構造の保存状態,金属元素含有量がどのように関連しながら変化するのかを調べ,続成作用による初生的同位体組成改変の有無を判断するための基準を確立したいと考えています.

 このような研究から,これまで腕足動物殻の炭素・酸素同位体組成に基づいて行なわれてきた古環境復元が正しいのかどうかを判断できるでなく,“正直な”分類群と部位を発見し,数億年前の海水温の変化を季節オーダーで復元するような,高精度な古環境復元の手法の確立を目指しています.

参考文献

✦ Auclair A., Joachimski M. M. and Lécuyer C. (2003) Deciphering kinetic, metabolic and environmental controls on stable isotope fractionations between seawater and the shell of Terebratalia transversa (Brachiopoda). Chem. Geol. 202, 59–78.

✦ Veizer J., Ala D., Azmy K., Bruckschen P., Buhl D., Bruhn F., Carden G. A. F., Diener A., Ebneth S., Godderis, Y., Jasper T., Korte C., Pawellek F., Podlaha O. G. and Strauss H. (1999) 87Sr/86Sr, δ13C and δ18O evolution of Phanerozoic seawater. Chem. Geol. 161, 59–88.

✦ Williams A., Carlson S. J., Brunton C. H. C., Holmer L. E. and Popov L. (1996) A supra-ordinal classification of the Brachiopoda. Phil. Trans. R. Soc. London, Ser. B 351, 1171–1193.

 

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