東北大学大学院理学研究科地学専攻地圏進化学講座 炭酸塩堆積学・地球化学グループ Laboratory for carbonate sedimentology and geochemistry Department of Earth Science, Tohoku Univ.

  9.隆起環礁に記録されたサンゴ礁の生涯の解読

  Formation-Growth-Demise of coral reefs/carbonate platforms

サンゴ礁と海山

はじめに

 進化論の提唱者として知られるチャールズ・ダーウィンは,1842年に出版した名著「サンゴ礁の分布と構造」において,サンゴ礁を地形上の特徴に基づいて裾礁,堡礁,環礁に分類し,その成因としてサンゴ礁の沈降説を提唱しました.この説を検証するために,19世紀後半から20世紀前半にかけて,世界各地のサンゴ礁,特に海洋島でボーリング調査が行われました.

太平洋のサンゴ礁で掘削された深層ボーリングの比較(Steers and Stoddart, 1977)

ダーウィンの沈降説

 熱帯〜亜熱帯海域でみられるサンゴ礁は地形的な特徴に基づいて裾礁,堡礁,環礁に区分されます.

 

裾礁:島などの陸地のふもとに直接発達したサンゴ礁

堡礁:島などの陸地との間に礁湖が存在するサンゴ礁

環礁:環状の形態をもち,中に礁湖を有するサンゴ礁

 

 

 ダーウィンは,サンゴ礁がこのような3つの地形をなす理由を説明するために沈降説を提唱しました.沈降説とは,サンゴ礁はまず火山島の周辺に裾礁として形成され,火山島がゆっくりと沈降するに従って堡礁へと代わり,ついには環礁となるとする説です.現在の沈降説は,「プレートテクトニクス」の視点を加味し,より洗練されたものになっています.

ギョーの発見とSchlagerのパラドックス 〜サンゴ礁はなぜ溺死するのか?〜

 1942年,H. H. Hessが北西太平洋から160 個の頂部が平担な海山を発見し,19世紀の地理学者Arnold Guyotにちなんでそれらをギョ—(平頂海山又は卓状海山)と命名しました.ギョ—の頂部は現在1,000 m以上も深いところに沈んでいますが,そこからは白亜紀などに形成された石灰岩が採取されます.したがって,ギョ—は長い年月をかけて浅海域から1,000 m以上も沈降したことになります。

 1981年,W. Schlagerは, 礁・炭酸塩プラットフォームの溺死のパラドックスを提唱しました.そのパラドックスとは,「礁の成長速度は島の沈降速度や海水準変動(上昇)よりも1桁速いので,礁は水没することなく海山(火山島)上で成長し続けることが可能なはずである.しかし,現在の海洋底には溺死したサンゴ礁が多くみられる.これらは,礁が,何らかの要因により成長活動を停止し,海洋プレートの沈降によって水没したことを意味する」というものです.

 礁の成長速度と海洋島の沈降速度の問題に関しては,今日まで多くの研究が行われてきました.しかしながら,この問題を解決するには至っておらず,私達に解明が委ねられています.

礁ならびに炭酸塩プラットフォームの溺死

サンゴ礁の溺死を説明するために提唱されてきた仮説

『干出ダメージ説』

 この説は,海水準の低下とその後の急上昇によりサンゴ礁が溺死したとする説です,すなわち,海水準が低下すると,礁・炭酸塩プラットフォームの大部分が干出し,造礁生物の生息域が狭くなり,その後,急激な海水準の上昇が起こると,狭い生息域に追いやられてしまった造礁生物は礁・炭酸塩プラットフォーム上に再度繁茂することができず,礁・炭酸塩プラットフォームは溺死してしまうという説です.

『富栄養化説』

 この説は,海洋底無酸素事変の時等に,酸素に乏しく栄養塩に富んだ深層水が浅海域にまで達することにより,礁・炭酸塩プラットフォームが造礁生物の生育に適さない環境となり,溺死したとする説です.

『墓場説』

 Wilson et al.(1998)は,白亜紀中期から始新世における海山上の礁・炭酸塩プラットフォームの溺死が,赤道から南緯10度の狭い範囲で起きたことを示しました.具体的な原因は不明ですが,当時の赤道域は現在とは異なり,礁・炭酸塩プラットフォームの形成には適さない「墓場」であったとする説です.

 このような仮説の検証のためには,海山や海洋島を掘削し,礁・炭酸塩プラットフォーム堆積物を採取する必要があります.近年では,炭酸塩堆積学・地球化学の進歩により,連続性のよいコア試料さえ得られれば,熱帯浅海域での海洋環境の変遷を高精度で解析できるようになっています.また,掘削技術も向上しています.よって,現在は,サンゴ礁の生涯を描き出すというダーウィン以来の夢を実現する絶好のチャンスであるといえるでしょう.

北大東島のサンゴ礁掘削 〜日本地質学の歴史にその名を刻んだ記念碑的事業〜

 北大東島は,沖縄本島の西360 kmのフィリピン海プレート上に位置する隆起環礁の島です.第二次世界大戦前の1934年と1936年の二度にわたって,東北帝国大学理学部地質学古生物学教室(現在の東北大学理学部地圏環境科学科)の矢部久克教授のグループは,サンゴ礁の生涯を明らかにするという科学目的のためにパイオニア的な掘削に挑みました.その掘削深度は, 当時までに行われたサンゴ礁の学術ボーリングでは世界2位にランクされる432 mであったため,世界中の研究者から脚光を浴びました.しかし,残念ながら基盤の火山岩まで掘削することは出来ませんでした.掘削によって回収されたコア試料は,1930年代から1940年代にかけての研究により,岩相記載,化学分析,大型有孔虫の生層序年代等の検討が行われました.しかし,戦後,同コア試料は長らく研究に用いられず,東北大学に保管されたままでした.そして,1990年代に入り,ようやく試錐試料が研究試料として扱われるようになりました.まず,Ohde & Elderfield (1992)によってストロンチウム同位体比年代が測定され,北大東島の地史が考察されました.その後,私達の研究グループにより,島の過去2,400万年間の堆積・続成史の解明やドロマイトの起源と成因に関する研究が行われています.

コア試料の分析

 これまでの研究により,同コア試料は4つの岩相層位学的区分単位(ユニット)に識別され,それらはコアの上部よりUnit C1,Unit C2,Unit C3,Unit C4と命名されています.各ユニットの岩相は,

 

 

 

 

 

 

であり,特にコア上部(Unit C1とUnit C2)がドロマイトよりなる点が特徴的です.また,垂直方向の岩相変化より,Unit C4〜Unit C2の堆積時には,礁湖が徐々に浅くなり,Unit C1の堆積時には,島は完全に水没した浅海性プラットフォームであったと推定されています.

Unit C4(209.3-431.67 m):全くドロマイト化していないbioclastic packstone/grainstone

Unit C3(103.4-209.3 m):局所的にドロマイト化しているcoral rudstone

Unit C2(49.7-103.4 m):ドロマイト化しているcoral bufflestoneとcoral framestone

Unit C1(0-49.7 m):ドロマイト化しているcoral framestone

北大東島のコア試料に記録された過去2,400万年の堆積・続成史

 私達は,北大東島産のコア試料を用いて全岩の炭素・酸素同位体比の測定を行ないました.炭酸堆積物中の炭素・酸素同位体比の負のスパイクは,陸上干出の指標になると考えられています.分析の結果,北大東島は過去2,400万年の間に,少なくとも11回,陸上に干出したということがわかりました.

 コア試料の岩相・堆積相,ストロンチウム同位体比年代と炭素・酸素同位体比を考慮に入れ,3次オーダーのユースタシー曲線と関連づけることにより,北大東島の堆積史を考察しました.

 過去2,400万年間の北大東島の堆積史およびサンゴ礁の発達史は,以下のように復元することができます.

 

1) 24.4〜21 Maには,島は海水準の低下と同調するように沈降し,短周期の海水準変動の影響を受け干出と沈没を繰り返した(ユニットC4の下部(コア深度431.7〜300 m)).

 

2) 21Ma以降,海水準が上昇に転じたため,大規模な干出は起こらなくなり,18.6 Maには島は水没した(ユニット4の上部(コア深度300〜209.3 m)).

 

3) 16.1,15.5,10.9 Maの低海水準時からそれに引き続く海進時に,水没していた島の上に礁が形成された(それぞれ,サブユニットC3c(コア深度209.3〜173.4 m),サブユニットC3b(コア深度173.4〜122.6 m),サブユニットC3a(コア深度122.6〜103.4 m)に対応する).

 

4) ユニットC2(コア深度103.4〜49.7 m)ならびにユニットC1(コア深度49.7〜0 m)およびそれと一連の堆積物であるユニット1はドロマイト化を被っているため,正確な堆積年代は不明であるが,島の沈降・上昇史,3次オーダーのユースタシー曲線をプロットしたAge-depth sectionは,両ユニットが後期中新世に堆積したことを示唆する.

 

5) 現在の北大東島に分布する炭酸塩岩の大部分を構成するユニット2(ドロマイト化を被っている)から採取された方解石よりなる試料のSr同位体比年代(海成セメントの付加による年代の若返りが想定される)およびAge-depth sectionから,ユニット2も後期中新世に堆積した可能性が高いと判断される.ユニット3(ドロマイト化を被っている)の堆積年代は不明である.

 

6) 6 Ma頃に島はフィリピン海プレートのフォアバルジに到達し,上昇に転じた.

今後の課題と目標

 北大東島におけるサンゴ礁の形成開始は,四千数百万年前まで遡ると推定されており,現時点では,島の歴史の前半部が未解明ということになります.また,北大東島試錐試料は,必ずしも回収率がよいわけではなく,高精度の古環境復元が困難な部分があります.よって,北大東島において再度サンゴ礁掘削を行うことが望まれます.掘削は基盤まで到達すること,高回収率であることが必須です.

 また,日本の周辺海域には,北大東島だけでなく南鳥島や沖の鳥島といった隆起環礁の島々が存在し,海底には溺死した過去の礁・炭酸塩プラットフォームが多数発見されています.これらのサンゴ礁堆積物を掘削すれば,10万年オーダーのタイムスケールでサンゴ礁の生涯を描き出すことができます.そして,これが達成された時,『サンゴ礁はなぜ溺死するのか?』という古くて新しい課題が解明できると思われます.私達はダーウィン以来の謎を解き明かすため,今後も更なる努力を続けていきます.

 

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